【超絶ズボラで、面倒臭がりな人必見!】10年勤めたOLを辞めてNYへ留学して人生が変わった私。


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はじめまして!

ズボラ矯正英会話講師のMikiと申します。

私は、生まれてこの方、続いたものがほとんどなく、親にも兄弟にも、友人にもズボラ認定されてました。

そんな自分と、日本の「当てはめる考え方」に嫌気が差して、約10年間のOL生活から脱却し、30歳で英語が話せるようになりたくて、ニューヨークへ渡米しました。

そして今私は、そんな生粋の”ズボラ”で何も続かなかった面倒くさがりの私が、30歳を過ぎてから英会話力を着けた経験を生かし、ズボラ矯正英会話講師として、活動しています。

”英語を話せるようになりたい!”って約10年間も思ってたのに、ズボラな性格が原因で英語の勉強が続かなかった私が、

私の生い立ち
なんで、30歳でNY留学したのか?
どうやってズボラを直したのか?
英語が話せるメリット

こんなことを語ってます。

Mikiの生い立ち

私は山梨県に生まれて"18歳"まで山梨県の甲府市に住んでいました。

両親は「ザ・昭和の日本人」のような性格。

先生や目上の人が言うことは絶対
女性は20代で結婚すべき
協調性を重んじろ

こんな風に言われて育ちましたが、全く納得できず、モヤモヤしたまま大人になりました。

田舎育ちなので、都会に憧れていた私は、短期大学入学を期に東京に比較的近い、埼玉県の短大に入学しました。

18歳で、実家を出て、友達も知り合いも1人もいない埼玉県へ移住しました。

山梨県は田舎なので、より視野が狭い環境になりやすく、どうしても!もっと広い世界で生きてみたい!という気持ちがあったので、ホームシックは少しもありませんでした。

そして、私は生粋のズボラだったので「深く考えること」も面倒臭がり、周りがするように、流されるように就職活動をして、新宿の中規模の某食品会社に入社しました。

休日だけが楽しかった、OL生活

私のOL生活は、想像していたものよりもとっても楽しくて、小さい頃にテレビドラマで見た事があるような”9-17時”で働いて”アフター6”や土日を満喫させる生活をしていました。

山梨にはない、”おしゃれなカフェ”や”オシャレなイベント”の写真を土日にSNSでUpすることで自己満足していました。

”OLで彼氏もいて、東京都23区内に住んでて、表参道のヘアサロンに行ってて、土日は楽しいことしてる自分の人生って結構イケてる”と勘違いしていました。。。

毎日ではなく、土日だけを楽しみに生きていたのにも関わらず、自分が"偽リア充"だということには、少しも気づいていませんでした。

そして、私は特に”特別な”特技や才能、資格がなかったので、お給料の良いこの会社に、このまま勤めていこうと思っていました。

特技や資格を増やすなんて、ズボラな私がするわけがありませんでした。

そんな私の口癖は「やりたいことがない」という言葉。

やりたいことがないなら「やりたいことを探す」なんて事は、ズボラな私は思いつくこともなく、常に楽な方の選択肢を、自然に気づかずに選んでいました。

なぜなら、私の周りにいる人間もみんなそんな考え方の人だったからです。

ズボラの私の周りには、ズボラを否定しないズボラ達が集まってきていました。

そんなズボラずくめの生活を約10年していて、30歳になる年に、今までの自分の人生を振り返った時、"週5日,本当にやりたいことをしていないと言うことは、人生の8割損してる。"と言う事に、ハタと気づきました。

こんな状態で「リア充」と言えるのか?と、自分の人生に疑問を持ちました。

そして、”このままでは人生8割損したまま、終わってしまう!何かを変えなきゃ!”と思って、収入が安定していた食品会社を辞めて海外ドラマ大好きな私が憧れていた”世界一の大都市、ニューヨーク"へ留学を決めました!

できない上司の言うことを聞かないといけない現実、男尊女卑へのストレス

私のニューヨーク留学を決定付けたのは、社会人になって7-8年が経った頃、小さい頃からモヤモヤしていた以下の3つのことがとてもストレスになっていたことです。

先生や目上の人が言うことは絶対
女性は20代で結婚すべき
協調性を重んじろ

私が前に勤めていた会社は創業35年以上で、社長が長く変わっていなかった家族営業の会社でした。

当然のように、昭和感がとても強く「年功序列」「同調圧力」「男尊女卑」という風潮がとても強かったです。

就業10分前に、仕事を頼まれても断れない。
断ると”回りに白い目で見られる”
雑用は女性がやるもの(お茶出し、掃除、お祝い事のお花の手配etc)
女性は気配りができないといけない
30を過ぎて、結婚できない女性は性格に難がある

こんなことを感じたり、直接言われたりもしていました。

”女性”ということで、得することもありましたが、損してるなぁと感じることが多かったです。

そして、その当時「海外ドラマ」にハマッていた私は、NYが舞台の「セックス・アンド・ザ・シティ」や「ゴシップガール」というドラマを見ていて、働き方や生き方に、その当時、自分がいた環境と大きな開きがあると感じてました。

なので、ニューヨークに住めば、女性で自分が結婚していなくても、恥ずかしがらず、自虐せず、堂々と生きていけると思ったのです。

18歳の頃、山梨に住んでいた時に「東京に住んでもっと広い世界に住んでみたい」と感じていたように「ニューヨークに住んでみたい」と強く思うようになりました。

30歳での留学はネガティブな反応が多かった

ニューヨーク行きを決意した私の周りの反応は、予想以上に、ネガティブな反応が多かったです。

まず、退職願いを上司に出した時、明らかに私の上司は、ネガティブな言葉を私にかけました。

今でもハッキリ覚えているのは「30過ぎて、アメリカ留学なんて本気なの?結婚できなくなっても良いの?もう脳も若くないんだし、ここから勉強して、転職なんてその年齢の君には難しいよ。本当にいいの?」でした。

仕事はできない方ではなかったので、引き止めたかったのでしょうが、逆にこの言葉が「アメリカに住んでズボラな自分を卒業して、絶対!英語を話せるようになって、人生変えてやる!」と思わせてくれました。

そして、私は、周りの女性の同僚達と比べると「気配り」ができないタイプだったので、私を女性として、見下していた男性の先輩や上司達からは

「Mikiさんは飛びぬけた美人でもないし、気配りもできない子だから、なかなか結婚できない。だから、日本人を諦めて、アメリカ人を探しに行った」と影で言われていました。

さらには、友達と思ってた、ズボラ仲間達からは嫉妬と負け惜しみの反応。

「ズボラなMikiがNYに行っても、ちょっと長めの旅行って感じで、英語も話せないでダラダラして帰って来るよ」と、言われました。

ここまで読むと、ひどい反応ですが”全てはズボラな私が、今まで選択してきた事が招いたことだ”と気づかせてくれる反応でした。

全てのことを、真剣に考えずに、周りに流せれるまま、就職活動して、ズボラな友達とつるんでいた。

だから、これらの反応を招いたのです。

ネガティブな事を言われた時は、ショックでしたが、今はあの時、ネガティブな反応を聞いていなければ、人生が変わるほどの留学にはなっていなかったと思います。

ニューヨークで環境と関わる人を変えて、ズボラな自分が変わった

ニューヨークでの生活は本当に!本当に!本当に!楽しかったです!

ニューヨークはたくさんの国から来た人で溢れていていろんな国の素晴らしさ、日本と海外の考え方の違いについてたくさん知ることが出来ました。

英語を勉強しただけでなく、たくさんの文化に触れて実際に住む事で、その場所の雰囲気を肌で感じる事が出来ました。

ですが、大変なこともありました。

ここからが、ズボラな性格が原因で英語の勉強が続かなかった私が、英語を話せるようになった理由やズボラな自分との向き合い方の本題です。

本当にあったことを書いています。

最後まで、読んでみてください。

英語はベイビークラスからのスタート。でもズボラが1人もいなかった。

ズボラな私は「留学すれば、英語が話せる」という安易な考えで留学し、英語はほとんど話せないまま、入学しました。

ですが、せっかく自分の今までの貯金を叩いたからには、絶対に英語が話せるようになりたい!と、今までになく強く思い!学校選びは結構慎重にしていました。

そして、学生同士の交流が多い課外活動が多く、”日本人”が私を含めて2人しかいない、日本人が少ない学校を選んだことは、良い選択だったと今でも思います。

入学した時の、私の英語のテストは順位がとても低く、入れられたのは「ベイビークラス(一番下のクラス)」でした。

ベイビークラスには、学生が多く、クラスメイトのほとんどが”ピチピチ”の10代~20代の子達でした。

彼らは単語を覚えるのも早く、行動することもできる若者達でした。

ベイビークラスと言えども、ニューヨークは夢を持っている前向きな人が多い場所。

俳優、映画監督、国際建築士、国際弁護士、カメラマンなど、なりたい夢がハッキリしていて、その夢に近づこうと頑張る素質がある子達ばかりでした。

ズボラとは、かけ離れた子達の中に私は放りこまれました。

周りがズボラじゃないと、ズボラを卒業しやすかった

アメリカの学校は”グループワーク”の時間が日本よりも多かったです。

だから”自分だけがサボる””テキトーにやる”なんてことが、なかなかできませんでした。

周りがズボラじゃない子が多かったので、だんだんと私も彼らに影響されていきました。

ズボラじゃない外国人のクラスメイト達がとても輝いてい見えて、私の中に、いつしか憧れの気持ちが湧いてきました。

彼らのようになりたいと心から思えて、家でも自主的に勉強するようになっていました。

やりたいこともなく、周りに流されるまま就職し、約10年もダラダラとOLを続けていた、あのズボラな私が!です。

さらに私の学校には、”プレゼン”の授業が絶対にありました。

クラスメイト15人くらいの前で、自分の考えを英語でしっかり主張しなければならないレッスンで、しかもそれが成績に直結していました。

私の場合、自分で貯めたお金で留学しているので、1回でも留年するのは、私の貯金がムダになることです。

あのズボラだった私は、必死に家でプレゼンの練習をして、英語をひたすら口に出して、英語でのプレゼンのテストに挑んでいました。

この経験から、「関わる人、環境はしっかり選んだ方が良い」ということを学びました。

どんなに英語を勉強しても、英語が話せなかった日々

関わる人間、環境を変えてから、英語を勉強し続けていましたが、やはり30歳というのは脳年齢的にも若いとは言えず、単語が覚えられない、英語の文法を間違える日々でした。

入学して、半年経っても、思うように英語が話せるという実感はありませんでした。

そこで、私は、自分は、勉強時間が足りないのか?学習方法が悪いのか?という事を考えました。

結果、勉強時間が足りていないと気づいたのです。

これに気づいたのは、私が英語力に伸び悩んでいた時に、私の学校に駐在していた日本人の英語の先生の言葉でした。

「あなたは日本語を話せる!と自信を持って言えたのは、何歳ですか?中学生を卒業したくらいでしょうか?人によっては、30歳を超えても、日本語をきちんと話せる!と言い切れない人もいますよね?

言語はそれくらい難しいものです。

あなたはまだ勉強しだして半年。

赤ちゃんと同じです。

言語学者でさえ、5歳児の言語レベルになるのには、1000時間は必要と言っています。

焦らずに、続けることを意識していきましょう。」

こんなことをアドバイスいただけました。

私は、この言葉で自分を恥ずかしく思いました。

「何で、日本語でさえ、12年以上かかるものを、英語では半年でできるなんて思ってたんだろう。」と、これは今でも不思議です(笑)

でも、これに気づけたことで、焦ることなく”自分に合った英語の勉強法”を探すよりも、”自分に合った英語の勉強を続ける方法”を自分の性格や今までの経験から考えることにしました。

自分に合った、英語の勉強を続ける方法とは?

英語の勉強を続ける方法は人それぞれですが、私の場合は!ですが、負けず嫌いな性格を利用することでした。

クラスメイトの中に”ポジティブな意味”でのライバル(憧れる人)を作り、モチベーションにしていました。

そのライバルよりも高得点を取ることを勝手に、目標にしていました。

また、クラスメイトのみんなと積極的に仲良くなり、英語でないとコミュニケーションが取れない、モチベーションが高い子とだけ出かけて、思い出をたくさん作りました。

学校以外でも、たくさん英語を使うことで、日本人の先生が言っていた1000時間に早く達せさせようと頑張りました。

そして、その友達は親友級に仲良くなれる子とだけ、遊んでいました。

留学は期間限定のものです。

時が来れば、みんな母国に帰ってしまいます。

ただの、薄い友達関係では、そこで関係が終わってしまいます。

でも、親友級に仲の良い子であれば、いつまでも友達でいられます。

私は「関わる人が重要」ということを学んでから、より友人を厳選していました。

この選択は間違っていませんでした。

今でも彼らとはzoomやskypeを使って月に1回は電話しています。

私には、とても仲のいい外国人の友達が合計5人はいるので、週1-2回英語で電話しています。

これが、互いに英語力をキープできることに繋がっています。

これが、私の英語の勉強を続ける方法です。

これらの経験から私は・・・

①自分の性格を利用する、モチベーションを探す事
②繋がりの強い一緒に勉強をする仲間を作る事

この2つが、英語の勉強を続けるコツなのだということが、わかりました。

モチベーションが低い人とは距離を置く

私の学校は私が入学して半年くらいたった時に、日本の某有名留学会社と提携し、日本人の子がだくさん入って来るようになりました。

私の学校は!ですが、日本人の学生は、モチベーションが低い子が多かったです。

親のお金で留学し、履歴書の自己PRに”ニューヨークへ留学した”と書きたいだけの子達と、俳優、映画監督、国際建築士、国際弁護士、カメラマンなど、なりたい夢がハッキリしていている子達では、モチベーションの差は歴然です。

学校の入学時期的には先輩の私に、後輩達が日本語で話しかけて来ましたが、既に「生きていく上で、関わる人や環境が重要だ」ということを学んでいた私は、日本語で話しかけて来る彼らに、英語で「私は絶対に英語が話せるようになりたいから、あなたにも英語で話したい」と言いました。

この私の態度に、びっくりした子がほとんどでしたが、1人だけ英語で「私もそうしたい」と言ってくれた子がいました。

私は、日本人では、その子とだけ、仲良くするようにしていました

ちなみに、彼女は女優を目指していた学生さんでした。

そんな彼女とは今でも英語で話しています。

現在は九州の地元に住み、クラウドファンディングで資金を集めて、映画や舞台を行っています。

彼女の舞台や演技をいつか東京の大きな会場で観てみたいです。

常識を覆された、仕事への考え方

英語のベースをニューヨークで勉強した私はその後、カナダの”バンクーバー”で1年間滞在して、カフェの店員として働きました。

英語はこのカフェで働くことでかなり身につきました!

そして、働きながら現地の人と交流する中で欧米はなんて考え方が自由で、人の目や常識を無視した自分らしい生き方をしていて、働き方が楽しい国なんだろうと"衝撃"を受けました。

昭和生まれの私は、”働くこと=ストレスが避けられない”と固定概念でずっと思っていました。

しかし、欧米では”ストレスがあるような会社には人は就職しません”

この事が、今までずっと日本で感じてきた私の頭の中にあった常識を、覆されてしまいました。

他にも語りたいことはたくさんありますが、短的に言うと、私は、ニューヨーク・バンクーバーでの留学で以下のことを学びました。

・関わる人間と環境はとても重要
・生き方には答えが1つではなく、いろんな選択ができる!
・誰でも、趣味や生きがいを見つける事ができる!
・英語が話せると、人生が変わる!

こんな事を学び、欧米で受けた大きな衝撃のまま、2018年5月に日本に帰国してきました!

英語を話せる人は、英語が話せない人よりも17倍!人生が楽しめる!

 

日本語を話せる人の人口は約1.7億人に対し、英語が話せる人の人口は約17.5億人と言われています。

単純計算で、日本語しか話せない人と英語が話せる人では、世界の人と話せる人数が約17倍も違うんです!

英語を話していろんな国の方達とお話する事で、その人の好きな事や人生観が聞けて、新しい刺激を受ける事ができます。

こうする事であなたの人生は必ずもっと豊かになります。

よって、日本語しかせない人よりも、英語が話せる人は世界観が広がり、人生が豊かになる可能性が17倍も多い!と断言できます。

英語が話せることのメリット

それでは、ここからは私の経験を踏まえて、英語が話せるとこんないいことがある!ということを具体例を出しながら語っていきます。

一緒に、見ていきましょう。

英語が話せる人は仕事が見つかりやすい!

外国人が来ることが多くなった日本では、外国人の方への対応を余儀なくされることが、どんな職業でもあります。

フルタイムの仕事でもそうですが、それがアルバイトでも同じです。

「英語が話せます」と言って、「あ、そういう人材求めてないんで」という会社はほぼないです。

お仕事探しで、英語がマイナスになることはあり得ないでしょう。

英語を話せる人は得しかない!

「英語が話せることは、どんな場面で得ですか?」

と聞かれることがありますが、挙げたら切りがありません。

ですが、私が体験したことで”英語が話せてよかったなぁ”というエピソードを、いくつか話したいと思います。

①大きなイベントで海外の企業と交流できた

実は私は、アクションゲームが大好き!

バイオハザードや三国無双などを死ぬほどやってました。

2019年に幕張メッセで開かれたゲーム界の一大イベント「TOKYO GAME SHOW」のイベントに参加した時のことです。

その会場には、インディーズコーナーという、これから芽が出そうな小さなベンチャー企業を集めたブースがありました。

そこには、海外からたくさんの外国のベンチャー企業があり、英語が話せる、読める私は、ゲームを難なくプレイでました。

操作方法も英語で聞けて、会社の熱い理念も聞けました。

そして、ある企業さんのスタッフさんと仲良くなり、互いにインスタをフォローし合って、楽しく新しいゲームを知ることができました。

英語が話せなければ、この出会いはありませんでした。

②英語が話せない人の中で、英語が話せてヒーローになれた

ある時、新幹線に乗った時に、外国人のカップルが1本時間を間違えて、新幹線に乗ってしまい「そこは私の席ですよ」と私の隣のおばあ様に行って来た事がありました。

私の隣のおばあ様はびっくりしていたので、私が「念のために、あなたのチケットを見せてくれますか?」と英語で話しました。

チケットを確認し、彼らの方が間違っていたため、乗務員と話すように私が英語で言って、事なきを得ました。

彼らがわざわざ、戻って来て謝罪してくれて、笑顔で別れた後、周りの人が急に話しかけてきてくれて「君がここにいなかったら、まずかったね」とみんなからヒーロー扱いされました(笑)

正直、気分が良かったです。

他にも、道案内ができたり、モスバーガーで注文に困っていた店員さんと外国人のお客さんを助けたこともあります。

英語が話せると、時々ヒーロー気分になれます。

③海外旅行先で友達ができた

それは、韓国に旅行に行った時のことでした。

空港でバスを待っている時に、アメリカ人の女性が「これは○○行きのバスですか?」という英語に私が難無く答えて、私も彼女も韓国で英語が話せる人と出会えた事で、嬉しくなったのか、仲良くなりました。

話しているうちに、彼女が韓国に20回以上来たことがあることが分かり、おすすめのお店をいくつか教えてもらい、実際に行ってみました。

20回も韓国に行く人が良いという場所なだけあって、私も友達も、この時の韓国旅行にとても満足できました。

彼女とはインスタを交換しているので、次にアメリカへ行った時にまた、会いたいと思います。

まさか、韓国の旅行でアメリカ人の方と仲良くなれるとは思いませんでした(笑)

こんな風に、ひょんなことで、英語を話せて楽しい気分になれることは本当に多いです。

英語が話せて、損することは絶対にありません。

良いことしかないんです。

最後に

ズボラの治し方、英語の勉強の方法は人それぞれです。

「これが正解!」という答えは1つではありません。

■自分で自分に合った道を見つけること
■関わる人間を変えること
■自分の環境を変えること

これらは絶対に!英語の勉強、ズボラを治すことに繋がることは間違いないと言えます。

楽な道、ダラダラしたい気持ちが強すぎて、私は損した時間が少し長かったです。

そして・・・

○人生を変えたい!
○もっと英語を話してたくさんの人と友達になりたい!

そう思ったら、絶対英語を勉強しましょう!

 


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